武将札「桔梗の才知:明智光秀」

武将札「桔梗の才知:明智光秀」

販売価格: 380円(税別)

(税込: 418円)

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商品詳細

<商品内容>
・武将札「応報の道理:明智光秀」×1
・武将情報紙 ×1

1526年(大永6年)あるいは1528年(享禄元年)〜1582年(天正10年)を生きた。
父・光綱、母・お牧の方。光秀の正室は妻木熙子(ひろこ).
美濃の豪族であったとされる光秀は、はじめ斎藤家に属し、1568年(永禄11年)の頃には朝倉家家臣として足利義昭と織田信長を仲介。
幕臣・細川藤孝(幽斎)と足利義昭、織田信長の上洛に尽力した。
それ以降、義昭と織田の両方に属する形で務めるが、義昭と信長の仲が険悪になると信長に臣従するようになる。
織田家・光秀は家臣の中でも群を抜いた活躍をみせ、1571年(元亀2年)には近江国・坂本城主となった。
1575年(天正3年)、丹波攻略を開始し1579年(天正7年)には平定。丹波・亀山城を拠点とし、持ち前の能力を発揮し領国をよく統治した。
そして時は1582年(天正10年)、光秀は突如信長に反旗を翻す「本能寺の変」を起こす。
信長を討ち取り、盟友・細川幽斎らに協力を要請したが幽斎らは動かず、12日後に中国地方より引き返してきた秀吉の弔い合戦、「山崎の戦い」で敗れた光秀はここに没した。

この武将札では光秀公本能寺の変からの12日間に何を想ったのか、あるいは人の繋がりに人生の儚さを感じたのではないかと想像しながら製作しました。

商品仕様

武将札材質 繊維強化プラスティック(FRP)
武将札サイズ 縦25mm×横76mm×厚2.3mm
武将情報紙材質 光沢紙
武将情報紙サイズ 縦102mm × 横152mm(KGサイズ)