武将札「忍びの始祖:百地丹波」

武将札「忍びの始祖:百地丹波」

販売価格: 380円(税別)

(税込: 418円)

在庫あり
数量:

商品詳細

<商品内容>
・武将札「忍びの始祖:百地丹波」×1
・武将情報紙 ×1

諸説あるが1512年(永正9年)〜1581年(天正9年)を生きたとされる。
服部・百地・藤林の三上忍家の内の一つである。
伊賀国隠(なばり)(名張)郷を拠点とし、実質的に伊賀忍者衆「伊賀者」を束ねていた棟梁に当たる存在であったが、目立たぬ事こそ誉とされる忍びであるが故か、それほどの人物であったにも関わらず謎に満ちている。

伊賀は実質的な支配大名が居なかった為、各地の有力者が集まり意見を交わし、国の方向性を定めるという合議制が採られていた。
これを「伊賀惣国一揆」と言う。
また交通の要衝でもあり周囲を強国に囲まれていた伊賀は、各国の情報最前線の地となり、こういった背景を得て伊賀忍術は研ぎ澄まされていった。

1579年(天正7年)、伊賀を除く周辺国の旗色が織田に染まる中、ついに織田軍が伊賀平定に動き出す「第一次天正伊賀の乱」が勃発。
織田信雄(のぶかつ)を総大将とする織田軍であったが、伊賀忍者衆は山岳戦を駆使し完膚無き迄に叩き撃退した。
信長は「言語道断曲事(くせごと)の次第に候」と激怒し、1581年(天正9年)に再度五万の大軍をもって「第二次天正伊賀の乱」を仕掛け、伊賀は焦土と化した。
なお、伊賀国喰代(ほおじろ)には今も百地砦跡が残る。

後に「万川集海」という忍術秘伝書を残した百地氏族。その忍び極めた様を表現できるようにと想いながら製作いたしました。

商品仕様

武将札材質 繊維強化プラスティック(FRP)
武将札サイズ 縦25mm×横76mm×厚2.3mm
武将情報紙材質 光沢紙
武将情報紙サイズ 縦102mm × 横152mm(KGサイズ)